外国人がやってくる次の10年のまちづくりは

日本政府とインドネシア、フィリピンとのEPA協定に伴って看護師・介護師を一定数受け入れることが決まった。フィリピンは国内決議が滞っているので、まずはインドネシアの看護師・看護師の受け入れが始まる。
といっても、そこは移民鎖国・日本。厳しいハードルを設けている。看護はインドネシア看護専門学校か大学の看護学部を卒業し2年以上の実務経験があること、介護は同様の看護の学歴があるか、ほかの分野の専門学校卒以上の学歴で出国前に介護研修を受ける、などが条件となっている。さらに、日本で6ヶ月の日本語研修、事前研修を受けて、日本の国家試験を受験。それに合格すれば、ようやく日本で働くことができる。
最初の最初なので、インドネシア側から相当に優秀な人材を送り込んできているようだし、日本側もこれでこけないように、慎重にケアしているようだ。しかし、人手は足りないが高度な人材だけを入れたい、そういった政府の考えがわかりやすく見て取れる。

しかし、だからといって外国人は全然日本で働けないのかといえば、そんなことはなく、90年代後半から研修生・実習生という名の、実質低賃金労働力がどんどん入ってきている。
私は仕事柄、地方都市の機械部品や食品加工の工場に行くことがあるが、地方ほど、外国人労働者が多い。小学生やおばちゃんが前を歩いている町工場に一歩入ると、中国人の女の子達が薄暗い中ずらっと並んで黙々と作業している。そのギャップに一瞬クラクラする。ここはどこだ、と。地方の労働集約的な産業は、もはや外国人労働者がいないと回っていかない。
また国は、留学生数も受け入れを増やそうと大きな目標を立てている

これから10年くらいかけて、高度人材、ワーカー、いろんなレベルで外国人が入ってくるだろう。おそらく保守的な日本のことだから、すぐに倍増、というわけにはいかないだろうが、いくつかの町では、人種コミュニティが形成されるところも出てくるだろう。今東海地方では、日系ブラジル人が切り開いた南米の労働者達の町が形成されつつある。群馬県大泉町は人口の1割がブラジル人であるという。
そうしたときに、町はどう対応するのか?いまのところ、ほとんど何の基盤整備もなされていない。そこにまったく新しいまちづくりの可能性があるが、危険もはらんでいる。うちの近所も外国人が結構すんでるみたいだけど、どんな人達なのか、まったくわからないもの。生活上まったく交差することがない。それは本当に危険な気がする。預かり知らないところで怨念が蓄積されることになる。