途上国の内発的発展はあるか?


ジェトロセンサー読んでたら、大野健一さんがベトナムの開発支援についてかなり熱い文章をお書きになっていた。今手元にその記事がないのでアレだが、要約すると以下のようになる。誤読、飛躍がかなりありそうな引用ですので、ご注意。

ベトナム二輪車マスタープランをつくるため、政策立案ノウハウを提供することも含めて、ベトナム政府側と日本の専門家が、膝を詰めて議論した。しかし、出来上がったものをみたら、骨抜きになっていた。全然一緒に議論した意味ないじゃん。ベトナムへの外国投資が激化する中、いまだ地場産業が育ってきてないベトナムにとって、産業育成に残された時間は少ない。「先端」「ハイテク」のイメージばかりにとらわれずに、実質的な育成をやってかないとダメだ。また、日本側も専門家が1から10まですべて作ってしまうようなマスタープラン支援はやめていただきたい。(意訳)


この焦りは、ベトナムの現場に近くないとわからない。ベトナムが安価な労働力の草刈場となり、キャッチアップできずに産業的には外資に吸い尽くされた時間切れの抜け殻のような国になってしまうのではないか、という焦り。


大野さんの以下著作にも共感。

途上国のグローバリゼーション―自立的発展は可能か

途上国のグローバリゼーション―自立的発展は可能か

大野さんの基本的スタンスは、今のグローバリゼーション下での開発は、「欧米の示す国際経済統合にどうやって組み込まれるようにするのか」とほぼ同義で、途上国はその準備もできないまま国際市場に放り込まれるため、十分な適応もできずに国内産業の育成、市場の創造、社会福祉の向上につながらない、ということ。その上で、その国の政治的・文化的・民族的背景に適したグローバリゼーションへの参画の仕方=翻訳的適応が可能ではないか、としている。翻訳的適応のために、各国政府の責務は大きい。先進国は各国政府が政策ノウハウを習得できるような支援をしていくべきだ。


たしかに、そのとおり。少しでも考えをめぐらせばわかるが、グローバル企業に途上国が束になっても勝てないわけで。WTOしかりだが、グローバリゼーションの現状に即して考えたら、結局経済開放、自由市場が合理的、という結論になる。しかしそれは、先進国から見た場合の論理で、それがもたらす途上国の帰結へ至らない。経済が開かれることによって、途上国にもチャンスはあるよ、といっているが、膨大な格差を前にウルトラCを何十回と繰り返し成功したら、という前提付のチャンスは、ただの甘い誘いでしかない。結局は、新自由主義の片棒を担ぐことになる。

途上国の準備が足りない、と大野さんは言っている。その準備のために支援すべきが世界銀行なりODAなりだろう。


開発経済学では冷徹で客観的な視座だけでなく、主観的な熱い思いも必要だ。なかなかこういう熱い思いが文章ににじみ出てくる学者さんは、珍しい。