マクドナルドから考える


マックにはいつもお世話になっております。

会社の行き帰りに、時間のあるときにはちょっと立ち寄り本を読み漁ったり、こうやってブログの原稿かいたりしている。コーヒー1杯で。食べ物は食べません。

中高生やらフリーターやら仕事帰りのおばさんやらが集まってダラダラだべっている。こういう俗っぽいところをスタート地点に、日本の未来に思いをめぐらすのが、フィールドワーカーとしての姿勢ではないか、と思うのです。東浩紀も、ファミレスやらジャスコやらあるところで思想すべき、みたいなことを「東京から考える」の中で言っていた気がするし。


作業するには意外とメリットも多い。

コーヒーが安い

なにしろ百円。そんなにまずくない。慣れるとスタバで300円はとても払えなくなる。

見られている感じが集中できる

人により異なるでしょうが、僕は回りに人がいるほうが集中できるタイプ。俺はお前らみたいにダラダラしてないぜ、って優越感を感じながら。

居心地悪いのが逆によい

滞在時間を短くするためにいすが硬くしてあるとかよくいわれるが、適度な緊張感を保てて、作業をするにはよい。スタバは、なにかリラックスしすぎる。勉強道具をいっぱい広げていながら、ボーっとして手が止まっている、そんな感じにスタバはなりやすい気がする。考えがエスタブリッシュされてしまう気もするし。物思いにふけるにはスタバはよいかもね。

いろんなドラマがある

準ホームレスのようなおいちゃんが、時々来る。100円であったかいところでコーヒー飲めたら、缶コーヒーよりはるかにお得だろうと思う。店のにいちゃんを呼びつけてコーヒーおかわりとかしている。みんなに開かれているマック。
ダメな感じのフリーターのねえちゃんが、携帯電話で「仕事やめて貯金があと500万しかないよ〜30歳を前にしてこれじゃだめやろ」って。僕より貯金あるよ。貧乏暇なし。
パートのおばちゃんたちが、会社の内情について大声で話している。経営厳しいらしいよ、とか。いまはやりの使いまわしの話とか。家政婦は見た、みたいな。

マックのアジア的読み替え

マックはグローバリゼーションの尖兵だとよく言われる。確かに経営合理化と就労のシステムはそうでしょうが。
しかし下の著作では、意外とアジアの国々の文化によって翻訳的適応が為されている、という話も。台湾マックの近隣の人たちに親しまれる「マクドナルドおばさん」とか、スローなくつろぐ空間として利用されているとか、日本では入ってきた当初は、ちょっと前のスタバのようにマックで働くのが一番トレンディみたいなステータスがあった、とか。

グローカリゼーションの人類学―国際文化・開発・移民

グローカリゼーションの人類学―国際文化・開発・移民

いや、基本的にはマクドナルドには反対ですけどね。。。


いや...どうかな?


わかんなくなってきた。