お盆の力を借りて、自分の言葉を語る


毎年8月は、自分にとって実存を考える時期だ。

毎年こんなライフサイクルで生きている。
年度末の仕事ピークを振り切って、高いテンションのまま春に入る。空き時間ができるので、心機一転何かはじめてみようとする。梅雨から初夏でうだってきた頃、やっと落ちついてきて、そういえば本当にやりたいことってあったよね、と思い出す。
そして8月。仕事がだんだん忙しくなって「やらなければいけないこと」と「やりたいこと」の狭間にたつ。そんなときにお盆で友人が帰ってきたり、誰もいない蝉のないてる午後の通りを歩くんだ。懐かしいような、お別れのような、心の夕暮れ時がやって来る。


さて、話は変わって、先日、大学生とグループ・ディスカッションする機会があった。しゃべり場のような場を想像していただければよろしい。話題は、いわゆる「就職格差」問題になったとき。
そこである大人が頭ごなしに「社会をつくった大人はとても悪い。私は大学生の時には何も考えてなかった。しかしあなた達が今気づいて、今やる気を出さなければ、何も変わらない。」みたいなことを言った。
心底、腹が立った。なんだお前は、と。この違和感は、自分の言葉でなく社会を盾にした言葉だと。このような言葉に対しては、徹底的に対抗しなければならない。自分は年齢的には大人側だからこそ、対抗しなければいかん。そう思い、自分の思いのたけをしゃべった。
対抗するには、自分のことをとにかく洗いざらい、しゃべることからはじめるべきだと思った。大学時代の生活とか、将来感とか、バンドのこととか、いろいろしゃべった。
そして、とにかくあなたの感じている世界のことを、あなたの言葉で聞きたい、と言った。

なんだか、胸が熱い思い。多分お盆の夕暮れに感化されている。